広瀬栄一コレクション拓本2-378●昭和期 墓碑拓本 文化11年 義光院道誉徳聲文永居士墓 儒学者佐藤一斎の父信由 240831 古文書 [28675533]
広瀬栄一コレクション拓本2-378●昭和期 墓碑拓本 文化11年 義光院道誉徳聲文永居士墓 儒学者佐藤一斎の父信由 240831 古文書
[28675533]
販売価格: 15,000円(税込)
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商品詳細
商品説明
佐藤信由は、美濃国岩村藩の家老で儒学者佐藤一斎の父になります。一斎43歳の時に亡くなりました。佐藤 一斎(さとう いっさい、明和9年10月20日(1772年11月14日)[1]- 安政6年9月24日(1859年10月19日))は、美濃国岩村藩出身の儒学者。諱は坦(たいら)[1]。通称は捨蔵[1]。字は大道[1]。号は一斎のほか、愛日楼[1]、老吾軒。儒学の大成者として公に認められ、天保12年(1841年)に述斎が没したため[1]、昌平黌の儒官(総長)を命じられ[1]、官学の総帥として重きをなした[1]。朱子学を専門としつつも、中井竹山の指導によって陽明学も修め、学問仲間から尊敬をこめて「陽朱陰王」と呼ばれた[1]。門下生は3,000人と言われ、一斎の膝下から育った弟子として、山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠、若山勿堂、池田草庵、東沢瀉、吉村秋陽、安積艮斎、中村正直、林靏梁、大橋訥庵、河田藻海、竹村梅斎、河田迪斎、山室汲古、北條悔堂、森光厚、森光福、楠本端山など、いずれも幕末に活躍した英才が多数いる[1][2]。同門の友人には松崎慊堂がいる。将軍侍医の杉本宗春院とは極めて親しかった。出典:ウィキペディア
広瀬栄一氏は、石岡市高浜にある酒造会社の元社長で考古学文学に造詣が深く文人との交流も数多くあります。台東区根岸にある子規庵の戦後の再建をした寒川鼠骨との交流や再建を経済的に援助した人です。
拓本は広瀬氏が収集したものしかないと思われ大変貴重な史料です。拓本が取れるという広瀬氏の人脈に敬服致します。拓本もまた文化財だと思います。多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。サイズは116×89.5㎝です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年によるシミヤケや破れがあります。センター部分や所々が切れています。発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。
広瀬栄一コレクション拓本2-378●昭和期 墓碑拓本 文化11年 義光院道誉徳聲文永居士墓 儒学者佐藤一斎の父信由 240831 古文書
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